再び天狗党熱に冒され,水戸の回天神社に行ってきました。
行軍する天狗党が加賀藩に降伏し,志士たち約800名は,幕府討伐軍の田沼意尊によって敦賀の鰊蔵に閉じ込められ,残酷極まりない処遇を受けました。この回天神社には,そのときの鰊蔵があります。敦賀市のご厚意により天狗党の故郷である水戸市に寄贈移築されたものです。
鰊蔵に閉じ込められた志士たちの悲惨な状況を目の当たりにした当時の柱でしょうか
その後,閉じ込められた約800名のうち,藤田小四郎や武田耕雲斎をはじめとする351名が鰊蔵から引き出され,故郷の水戸から遠く離れた敦賀の地で斬首されました。なんとも無念であったでしょう。死罪8名だった「安政の大獄」の比ではない極めて残酷な処分の様子を聞いた薩摩の大久保利通は「実に聞くに堪えざる次第なり。これをもって幕府滅亡の表れと察せられ候」と日記に記したようです。
ついでに,隣にある常磐共有墓地に行きました。
「桜田門外の変」実行部隊の指揮者,関鉄之介のお墓
広岡子之次郎のお墓。桜田門で井伊大老を襲撃。兄は天狗党の林忠左衛門。
水戸の市街地北西部,水戸八幡宮から那珂川に沿って曝井あたりまでの一帯,,,歴史的遺産があたかも時の流れを忘れたかのようにその姿を留めています。