里山讃歌

田舎暮らしを綴っています

呪われた部分 有用性の限界

師走です。今年もあとわずか。毎日忙しく犬の手も借りたいほどですが,猫のようにぬくぬくと生活している我が家の小春さんでは無理でしょう。

 

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仕事で沖縄に行ってきました。沖縄は気温28度。ホテルではエアコンをガンガンつけて寝たせいか,帰宅後に大風邪をひいてしまい,散々な目にあいました。

 

G.バタイユ『呪われた部分 有用性の限界』読みました。

 

久しぶりにバタイユの本を読みました。高3の頃だったか,ニーチェプラトンサルトルアリストテレスなど,哲学者の考えを簡略化した書籍を読み進めていた時期がありました。西洋哲学者の様々な考えや思想を知って,これから生きていくための人生の指針みたいなものを得たいと思ったからです。また,今の自分の考えに近い人はいないのか,という興味も有りました。

 

その中にバタイユという思想家の言葉や文章があり,その異常さ?や想像のつかない混乱した情念に興味をもちました。何となく自分の考えに近いな!(自分は高校時代相当のひねくれ者,精神的不安定者でした)。それ以来,時々バタイユの書籍をかじってきました。

 

資本主義全盛の現代社会。資本主義の中では,あなたは何かの役に立ちますか,社会の役に立ちますか,我が社にとってなにか利益を生み出していますか,などと有用性という価値観に覆われて人は生きている。何かの役に立っていなければあなたは価値がないというのが資本主義の本音であろうか。

 

バタイユが何を言ったかというと,拡大解釈すれば,私たちはこのような何かの役に立たなければという有用性に取り憑かれてしまっているが,人間は内在的には存在しているだけで価値があるということ。あなたは理由があってそこに存在しているのですかという問い。何かに帰属して,何かを生み出して,何かの役に立って,,,う〜ん,いかにも哲学的な問いですが,決してそんなことはない。人は存在しているだけで素晴らしいと。私たちは存在している。その辺の石ころと何ら変わりはない。資本主義という幻想の中で生きているだけ。

 

常に何かの役に立っていなければ,,,という問いは,人の思考を傷付け,重荷になってしまうようです。せめて自分の心の中だけででも有用性という思考を破壊し,存在しているだけで価値があるという価値観を再構築するだけで,きっと気楽に生きていけるのかなと思います。資本主義末期である現在,資本主義にかわって社会を覆う新たな価値観を模索していかなければなりません。

 

思想には計り知れない深みがあります。思想は絶対化できないからこそ無限に続いていきます。世の中に対する見方,人間に対する見方,,,精神世界の探求はなかなか面白いですね。バタイユシオランなど,また読んでみたいと思います。

 

 

 

さて,オーストラリアンラブラドゥードルの小春さん,冬になってますます元気。散歩中はいろんな人に声をかけてもらったり触ってもらったりと,とても嬉しそうにしています。

 

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沖縄出張で三日間留守にしたときは,お利口さんに待っていたようです。いつ帰ってくるのかな〜と窓から外を眺めながら。

 

 

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寝るときは猫のようになります。

 

小春さん,2歳の誕生日までもう少し。誕生日には美味しいケーキを食べましょうね。

 

呪われた部分 有用性の限界 (ちくま学芸文庫)

呪われた部分 有用性の限界 (ちくま学芸文庫)