歴史小説好みの僕にとって,司馬遼太郎、吉村昭、城山三郎は,一語一句噛み締めながら読んできた作家です。1回読んで終わりではなく,再読に再読を重ねてきた作品も多々あります。この「桜田門外ノ変」も地元の志士たちの物語ということで何回か読んでいます。
忠臣蔵,桜田門外ノ変,二二六事件,,,日本史上のクーデターの日は,なぜか,雪が降ります。真っ白な雪の色に真っ赤な血の色が映えるからであろうか。桜に雪,,,日本のテロリズムを美化するような詩的連想には十分なシチュエーションです。
降り注ぐ桜花のような雪,一面は美しい銀世界,その中で光り輝く日本刀をスパッと振り下ろす,まさに電光三尺の剣,神聖なる真っ赤な血しぶきが真っ白な雪のキャンバスに飛び散りテロリズムの美学を描く,,,みたいな。
襲撃の場面。実は上記のような魔性のような美しい世界でもなんでもありません。その場面を文中から引いてみます。「剣術で最も重視されている間合いなどすっかり忘れ,ただ刀を上下に振るうだけ,刀の背で相手の頭を叩く,抱き合うようにして刀で顔を傷付け合う,間隔をおかぬ鍔迫り合いのため,柄をにぎる指が斬り落とされ,同様の理由で耳や鼻の一部が斬り落とされ,,,」。
実際は,雪と血と斬り落とされた部位と泥でぐちゃぐちゃ。「雪のキャンバスに血しぶきで美しく描かれた,,,」はありえなかったようです。詳しくは乱闘の一部始終を現場の前にある松平大隈守の屋敷から見ていた興津という杵築藩留守居役の談話記録に書かれてあるようです。
吉村昭さんの丹念に資料を調べ,現地踏査を行い,客観的な立場で史実を追う姿勢にいつも感服してしまいます。