里山讃歌

ALの小春と過ごす田舎暮らしを綴っています

 近所の歴史スポット散策

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せっかくバイクを買い替えたので,近辺の歴史スポット散策に出かけてみました。


まずは,幕末「桜田門外の変」で井伊大老の襲撃に参加した桜田烈士の墓所に行ってみました。



那珂市(旧瓜連町)にある齋藤監物(さいとうけんもつ)のお墓。藤田東湖のもとで学び,書に秀でており,剣は神道無念流


城里町石塚へ。同じく桜田烈士の一人,増子金八のお墓。桜田烈士18名のなかで,生き延びた2人のうちの1人です。大畠誠三郎と改名し,襲撃後各地に潜伏し,明治初期に石塚に帰り,青年に漢字を教えながら狩猟や読書に余生を送ったそうです。墓石をよく見ると,大畠誠三郎増子君と彫られています。



北上し,常陸大宮市小田野(旧美和村)の吉田八幡神社へ。増子金八と同じく,生き延びた2人のうちのもう1人,海後磋磯之介(かいごさきのすけ)が襲撃後潜伏していた高野家にある「海後磋磯之介潜居趾」の碑。この海後磋磯之介さん,明治維新後は,警視庁や県庁に勤務したそうです。神社の階段脇民家のおばあさんが,(訪問の趣旨を伝えると)潜居碑の場所まで丁寧に案内してくれました。ありがとうございました。


つづいて,南下し,常陸大宮市下伊勢畑へ。


香川敬三(旧名 鯉沼伊織)が倒幕の決意をしたときに剃った髪を埋めた「鯉沼伊織理髪塔」。この香川敬三さん,脱藩して江戸や京都で国事に奔走。戊辰戦争で官軍の要職に就き,流山で新撰組局長近藤勇を捕縛したことで有名な人です。わずかな情報をたよりに,途中でバイクを止めて近所の方々に聞き込みながら歩き回った結果,やっと見つけました。理髪塔所在地のヒントとなり得る情報を提供してくれた焚き火をしていた優しいおじいさん,ありがとうございました。

つづいて,野口平へ,,,


天狗党の田中愿蔵が館長を務めていた時雍館(野口郷校)跡の碑。廃校になった野口小学校の校庭にあります。校庭は草ぼうぼうでした。

この近辺に,元壬生浪士組で,その後,天狗党に参加した「粕谷新五郎」の墓碑があり,バイクで走り回って探したが,ついに見つからず。次回の課題となりました。


さらにバイクを北東に向けて走らせ,旧緒川村〜旧美和村〜旧山方町,,,そして常陸太田市瑞龍へ。


歴史スポットとは無関係ですが,移動途中で,金スマひとり農業ヘルムート渡辺さん宅をパチリ。



水戸徳川家墓所。門は固く閉ざされていますが,中では東日本大震災で破損した箇所の修理工事が行われているようです。黄門様も斉昭公もここに眠っております。次回,一般公開するときには,ぜひ入ってみたいですね。


バイクに乗っているとお尻が痛くなります。そろそろ限界が近づいてきたので,家に帰ることにしました。



家に帰る道中,東連地にある「田中愿蔵生誕の地」石碑。天狗党の悪名高き隊長と言われるなど,悪党のイメージが常につきまとう田中愿蔵ですが,はたしてその真相はいかに。


常陸大宮市近辺の歴史スポット,いかがでしたでしょうか。主に幕末に活躍? した方々が多いですね。NHKさん,,,これらの方々で大河ドラマをやってみてはいかがでしょうか。天狗党桜田門外の変,壬生浪士,戊辰戦争,,,どれも尊王攘夷でつながり,なかなか面白いと思いますよ。さすが,尊王攘夷思想の生まれた地,水戸藩。そろそろ薩長中心の幕末ものは飽きてきたのではないでしょうか!